ブログのタイトル思いつかん

助けてください。

さいきん見たものなど

なんか全然進捗の更新をし忘れているが、最近いいものにたくさん触れている気がするのでメモも含めて色々残しておきたいと思う。

ほねっこぱれーど /FAKE TYPE.×さえきやひろ

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おれのすきなVTuberの名取さなさんの3Dモデルや、甲賀流忍者ぽんぽこさんの3Dなど(ほかにもいろんなことをやっておられる)を産んださえきやひろさんの楽曲。

音楽面をFAKE TYPE.、動画をpppが担当している。

このブログを読んでいるみなさんはある程度知ってくれているかもしれないが、おれはVTuberをけっこう好きだ。今となっては数が多いし、専門的な知識がないことからも技術界隈は全く追えていなかったりするが、メジャーどころはそこそこに知っているように思う。

やひろちゃんについては、わりと初期からVの界隈にいらっしゃる技術力がとんでもない方くらいの認識でいたのだけれど、今回の楽曲は周年という節目であることがあり、覚悟を非常に感じた。楽曲は非常にリスペクト性が感じられて、やひろちゃん周辺のお友達や、やひろちゃん自身のいまを網羅するような楽曲で、普通に好きでずっと聴いちゃっている。

なによりも力(リキ)を感じたのはクレジットにpppを表記したことだと思います。くわしく3周年記念配信を見てほしい。

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クリエイターがVTuberになることの是非って本当に我々にとっては想像がつかない話で、傍目から見るとサラッと参入して能力の高さを見せつけやがってよ…(涙目)とはなってしまいがちではあるのだけれど、クリエイター本人たちからするとそんな単純な話ではないことは明らかだとは思う。創るということ自体を生命線にすることは安定とは離れていることで、実際兼業しながらなんとかやっているという方も数多くいる。そういう観点からもクリエイターがVTuberをやっていくということについては良いとは思う。当然、配信活動自体の難しさには直面する方が多いのだろうなとは思うし。それ以上に配信活動を通じての創作の可能性は何人たりとも否定してはならないと思っている。

黛灰

現在、黛灰がどういう状態にあるかを知っている方はあんまり多くない気もする。

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あたりを見た上で最近のツイート

を確認してもらえてればなんとなくわかる。

すんげーざっくりいうと、『トゥルーマン・ショー』のように創作上の存在であることが気づきつつある黛は、我々視聴者の手によって(誘導尋問的ではあるが)師匠と慕っていた野老山を抹消された。

野老山が消されたことにより"黛灰"の物語が再構成されつつあり、完全に我々の世界と隔絶された世界であることを確信を持った黛が、6/19 18:30から新宿の街頭ビジョンで自身の意思を表明した、という感じ。

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これはおれの弱さだし、正直な気持ちなのだけれど、おれは6/19 18:30に新宿に行くことなど容易い場所に住んでいるのにもかかわらず、その場には行かなかった。実際、その前日に黛が姿を現すであろう街頭ビジョンを見てきている。

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ここで合ってるのかわからんけど…。

建前を作るのはかんたんで、今は例の感染症が飽きるほど流行しており、わざわざそのような場に向かうのはリスク的な面でも得策ではないのだ。その上おれは一応受験生の身でやることもたくさんあるのだ。 実際のところはそのようなことはどうでもよく"黛灰の物語"に参画することを恐れた、それだけの理由で行かなかった。

おれは何の疑問も持たず野老山を消す選択をした。それは野老山の主張が一方的なものであると思っており、実際そう写っていたからだ。実際のところは異なっており、"黛灰の物語"を綴る"中の人"により媒介された映像であるため、野老山の真意が伝わりにくいような脚色が加えられ、我々のもとに配信や映像が届いていた。おれはそのようなことに一抹の疑問も抱かず、野老山を嫌い、主張を鬱陶しいと思い跳ね除けたのだ。

野老山は黛が"黛灰の物語"の内の人物であるにもかかわらず、自我を持ち、「黛灰を物語の外の人間にしたい」と何度も主張していた。黛自身は配信で幾度も「自分の感情が作られたものであると思うとやるせない」と言っていた。そうであれば、黛は物語の外に出してあげることが我々の選択として適切だったのではないか?

そのようなことを思っているうちに、街頭ビジョンを見に行く気は失せていた。嬉々として新宿へと黛を観に行くのは、"黛灰の物語"として黛を消化することにほかならず、それは黛が一番嫌がることではないのか。そして、おそらくこの様子を黛は見るであろうから、黛は自身を見る我々からの影響も受ける。そうすると我々は今以上に"黛灰の物語"に参画することになってしまう。おれはそれが怖かったのだ。

今はどうすればよいのか分からない。黛は現在リストア中であるらしいが、戻ってきた黛にどう顔向けすべきか全くわからない。

あ、再販で買った黛の香水は楽しみです。はやく届いてほしい。

Vivy -Fluorite Eye's Song- を見た

今期アニメで検索を掛けていたらステマが如く「Vivy 覇権」でサジェストが上がっていた本作が遂に完結した。おれは2話放映時点くらいから追い始めた。思いの外面白かった。

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こういうのをわざわざ観に行くたちではないけれど、帰りに寄れたのでせっかくだから見てきた。

ざっくりとした感想で言うと、「終わり方が寂しいな」だった。ストーリーのラインとしては重厚な世界観に対して非常にシンプルだったし、流れを理解するのはさすがに俺でもある程度は余裕だった。作品自体は言葉足らずな側面があり、都度ポータルサイトTwitterでの補足が数多く見られた。

最終話の感想はTwitterを見ているとそこそこ流れてきたが、おれのような人が多いと思ったし、賛否両論であることは否めなかった。どちらの気持ちもわかる。正直、要素数に対して話数が少ないと思うし、制作サイドがめちゃくちゃTwitterで解説してるのは結構ダサいと思うし。だけど、圧倒的なビジュアル・作画・音楽は本当に息を飲んだし、何度となく泣きながら見たことも事実だし。好きな要素もたくさんあれば、嫌な要素もあった。

ヴィヴィとしての「シンギュラリティ計画を遂行する」という使命自体が物語であり、それが遂行された以上、ヴィヴィは使命を失うから、眠りにつくのは自然なのだと思う。本来的には、AIに与えられる使命は「遂行と継続が容易」か「遂行が不可能である努力目標」であることで、永続的に使命に従属することが求められていたが、「シンギュラリティ計画を遂行する」という使命は明確に成功/失敗が存在していて、ヴィヴィは成功させた。そういった上で本来の使命である「歌でみんなを幸せにする」という使命は適切であったと思う。面白いのは"みんな"には誰が含まれるのかというところで、アーカイブが出した結論の中には人間は含まれないし、ヴィヴィにとってはAIも人間も含まれるというところだと思う。

とまぁ色々言いたいこともあるし文句もあるけど見ていてすんごい楽しかったし、いい作品だったと思う。考えるべきこともたくさんある。そういう作品だったと思う。来週は総集編があるらしいので見ましょうね。

映画大好きポンポさん

自分のふせったーから転載します。

面白スギィ!

面白すぎた。 おれはあんまりアニメや映画とかを見るわけではないので(予防線)、標本数が少ない上での感覚になってしまうのだけれど、感動の閾値みたいなものが自分の中にあって、作品が展開されていく中で連続的に感動が記録されていく。(感動=f(t)みたいなイメージ) そうしたときに、ポンポさんはある一定のタイミングを境にずっとその閾値を超え続けていた。 それがどこなのかは正直覚えていないんだけど、わりとずっと泣きながら見ていたと思う。 感動という尺度においてはその鋭敏さも大事だと思っていて、比較対象としてTVアニメ『SHIROBAKO』を上げると22〜23話あたりが非常に尖りを見せていると思う。(感動の微分係数がデカいみたいな印象)。 ポンポさんは感動の鋭敏さも大きければそれ自体も常に大きいという恐ろしいアニメだった。だから面白いと思う。

ポンポさんについて

ポンポさんは非常にコミカルで可愛らしく描かれつつも、彼女自身は卓越した才能により実年齢よりも異常に大人びている。というかおれより20歳くらい精神年齢が上だろ………。 ポンポさんには神聖な何かをずっと感じ続けていて、最後の最後でやっと人間らしさを感じられたような気がした。 パッと見の印象が『ブルーピリオド』の猫屋敷先生だったりと重なってしまっていて、(猫屋敷先生はまだ全然底とか見えないし、明らかに特定方向に恐ろしく破綻しているのだけど)、わりと映画至上主義的な側面があるのかなと思っていたのだが、そういうわけではなかったな。そういう側面を持ち合わせていない訳ではないが。 これでいて原作よりも心情描写が増えているらしいのですごい思い切りで原作は作られているんだなと思う。 ジーンが映画しかないという、ある種呪いのような負の側面を原動力に変えて映画を作ると夢を叶えるのに邁進したのに対して、ポンポさんは映画への観念から解放されるという夢を叶えることに尽力しており、表裏一体の存在であって、相補的なのだろうなと感じる。 原作?はポンポさん2とかがあるらしく、もし続きがあるとしたら、いまのポンポさんがどういう作品を作ろうとするのかが楽しみ。

ほか

  • ポンポさん可愛すぎる

小原好美さんの演技とキャラクターの可愛さでわけわからんくらい可愛かった。作中でも言われていたけど、女優の魅力さえ伝わればよいのと同じくらい、ポンポさん自身の魅力が伝わる作品なので、メタ構造込みでもすごい良かった。

一回目なのであんまり細かくは考えなかったけど構造の相似性が高いところが多かった。キャスティング込みなのがパンプレットを読んで伝わってきてちょっとヤベ〜って気持ちになった。

  • 音楽について

花譜ちゃんとEMAに限定して少し。いやなんかこんなに豪華にやっていいんだなと思ったし、おれが好きな二人が歌ってるのが嬉しかった。パンフレットを読んで二人っぽくてかなり笑った。EMAのインタビューはお互いもうちょい長くしようと思わんかったのかいとと思うけど、それもぽくて良かったと思う。 個人的にはバーチャルアーティストが楽曲の担当をするのは一般的なアーティストが楽曲を担当するのとほぼ大差ないと思っているが、世論はどうなんだろう。(流石ににじホロのユニットが担当しますとかだとウオーという気持ちになるとは思うけど)(必要性が低いため…) 花譜ちゃんへのインタビューはなんというか、らしくてだいぶニッコリしました。

  • 負の気持ちを認めること

ポンポさんで嬉しいのは負の気持ちを肯定してくれていることだと思ってて、モチベーションが良くないところに起因していてもそのモチベーション自体を買ってくれる人もいるのだな、と思った。 そういう点でもジーンには『響け!ユーフォニアム』の鎧塚みぞれじみた部分はかなり感じる。 あとはアランのリアルさですごくやな気持ちになったし、一番好きになった。おれはあんなに器用ではないけど、やっぱり何につけても狂気的な熱量が足りなくて、そこそこで何でもやってしまう感じがある。 やるとしたらおれも精一杯頑張る人の環境づくりを応援する立場に回りたいなとも思う。いざ融資のために駆けずり回っている部分を見ると、持ち前の優秀さも当然活きていたのも結構好き。あとは、作中でも一番夢を見ていたのは多分アランなんじゃないかなと思う。 アランで思い出したけど原作にはいないってマジなのですか?嘘でしょ